開発ストーリー
Story.01
阿波製紙の炭素複合製品はいかにして誕生したのか?
炭素繊維の可能性にいち早く着目
1970年頃の徳島工場
「CARMIX(カルミックス)」のベースとなった技術の確立は、1960年代にまでさかのぼります。
昭和20年(1945年)の第二次世界大戦終戦後、日本の経済復興は目覚ましいものがありました。昭和30年(1955年)から昭和47年(1972年)は高度成長の真っただ中であり、国内の産業界において自動車産業、電気産業、建築産業が急成長する中、部材として機能性を有する特殊紙の用途拡大が注目され始めた時期で、絶縁紙や導電紙に対する需要が高まっていました。そして、次世代の新素材として工業技術院大阪工業技術試験所の進藤氏によりPAN系の炭素繊維が発明されたのが1961年でした。軽量で強度があり、電気をよく通して耐熱性にも優れ、なおかつ加工もしやすいという数々の特性を持った炭素繊維は、導電紙にうってつけの素材でした。
私たち阿波製紙の先達は、祖業である機械抄き和紙製造で培った技術を活かして新しい事業領域を開拓するべく、炭素繊維による導電紙の開発に着手しました。夢の新素材を製紙法で連続のシート状にするために炭素繊維メーカーとの共同技術開発が始まりました。果たして事業性を確保できるのかと同業他社が二の足を踏む中、私たちの先達が開発を進めたモチベーションの根底には、「炭素繊維は世の中に必ず役に立つ素材である」という確信と「他が躊躇している今だからこそ取り組む価値がある」という、将来性に賭けた判断があったのでした。マーケティング視点でいうと、「企業側が考えた製品中心で展開するマーケティング1.0・・・プロダクトアウト」の時代でした。
意気込むメンバーの前に立ちふさがった壁は...?
当時、絶縁紙に比べて導電紙を手掛ける製紙メーカーはまだ数が少なく、それだけにメンバーは先々の市場拡大に期待を膨らませながら意気揚々と開発、生産に向けたスタートを切ったのですが、炭素繊維紙をいざ製品化するにあたっては大きな壁がメンバーの前に立ちふさがりました。その壁とは、「黒」が基本色となる炭素繊維特有のコンタミネーション(異物や不純物が付着・混入すること)でした。
元からある抄紙機を使って炭素繊維をつくろうとすると、どうしても設備に黒い残滓が発生し、他の製品のコンタミの原因となるためにその設備を使うことが当分のあいだ、不可能になってしまうのです。
しかし、阿波製紙の「誰もしていないことにこそ価値がある」というマインドが、この難題をクリアするための糸口となりました。稼働する1号から5号までの抄紙機の一つが、白から赤、青とローテーションで色が濃くなる順に製造していて、他社がためらう黒い紙にも対応できたのです。
そのローテーションに合わせてつくられた炭素繊維は無事に日の目を浴び、フィルター部門では大手自動車メーカーの純正部品として採用されている実績に基づく安定した高品質の製品づくりに応えてきました。今と比べてはるかに高価だった炭素繊維の無駄なロスを防ぐために抄紙機からもれた分もしっかり回収して次の生産にあてるなど、品質と効率を両立しながら安定的な製品化を実現したのでした。
実績が認められ、炭素複合製品の事業は多分野に拡大
開発された炭素複合製品
阿波製紙の炭素繊維紙を取りかかりとして、炭素材料を使用したシートラインナップは、メッキ液廃液処理フィルター、オゾン処理フィルター、建築材用電磁波シールド材、ファインセラミック製造時のセッター、パソコン用導電性部材等々、産業界の広い分野で採用されるようになりました。
そして、2013年に「CARMIX」という統一名称でブランド化し、今では活性炭シート、黒鉛シート、活性炭繊維シート、CFRP、CFRTP、放熱材用の炭素繊維シート、など、豊富なラインナップを取り揃える炭素複合製品に成長。土木・建築分野、航空・宇宙分野、環境分野と、その可能性はますます広がりを見せています。
次回は「CARMIX」ブランドの立ち上げにまつわるエピソードをお届けします。楽しみにお待ちください。
メッセージ
阿波製紙株式会社 OB 元 取締役常務執行役員
濵 義紹
「CARMIX」につながる炭素繊維の開発・生産にあたっては、目標機能達成のための特殊機能紙づくりにも対応できる複数の抄紙機と加工機が社内にあったことと優れた技能を有するマシンテンダーのこだわり技術・技能が後押しとなりました。また、協力企業の方々とオープン部分とクローズドの部分を明確にしながらオープンイノベーションで、その時々の課題解決に取り組めたことも大きな要因だったと思います。お世話になった方々に、この場を借りてあらためてお礼を申し上げます。
製品について
本記事内の製品に関してのご質問やお問い合わせは以下のフォームよりお気軽にお問い合わせください。